FROM THE DEVELOPER

開発者より

なぜ、このサービスをつくったのか。

はじまりは、一冊の本の中の、ほんの短い一節でした。

ある経営者が、最後に誇るであろうこと

マイケル・ウッドフォードという人がいます。日本の巨大企業の社長でありながら、社内の不正会計に気づき、それを告発した人です。地位も、報酬も、築いてきたキャリアも失いかねない選択でした。実際、彼は職を追われました。

その彼の本を読んでいたときのことです。自分が人生の最後にいちばん誇りに思うであろうことは何か——という問いに、彼が挙げたのは、経営者としての成功でも、巨大な不正を明るみに出したことでもありませんでした。

外国を訪れたとき、そこで見つけた危険な場所を、その国の警察署に手紙で知らせ続けてきたこと。
彼が挙げたのは、そういう、誰にも知られない小さな行いでした。

旅先の、名前も知らない街の、名前も知らない誰かのために。見返りもなく、感謝されることもなく、その手紙が読まれたかどうかさえ確かめようがない。それでも彼は書き続けていた。そして、それを誇りに思っていた。

この一節が、ずっと頭から離れませんでした。

人は、貢献する機会を探している

あの手紙は、特別に立派な人だけの行いではないと思うのです。

誰かの役に立ちたい。自分が生きているこの場所を、少しでもましなものにしたい。そういう気持ちを、人はたいてい持っています。ただ、それを実際の行動に変える機会が、驚くほど少ない。

道に穴が空いているのを見つけたとして、どこに、どうやって伝えればいいのか。役所の何課なのか。電話は何時までか。名乗る必要はあるのか。そもそも、こんなことをわざわざ伝えていいものなのか——考えているうちに信号が青になり、私たちはその場を通り過ぎてしまいます。

気づいた人がいなかったのではありません。気づいた人は、いつもいる。伝える道がなかっただけです。

一方通行では、続かない

市民が行政に困りごとを伝える仕組みは、これまでにもありました。けれどその多くは、市民から行政への一方通行です。送ったあと、その情報がどうなったのか分からない。自分と同じことを感じた人が他にいたのかも分からない。まちの中に危険がどれだけあり、そのうちどれだけが直ったのかも、誰にも見えない。

見えないものは、積み上がりません。積み上がらないものに、人は関わり続けられません。

だから、このサービスでは集まった気づきを地図の上に置くことにしました。誰かの投稿の隣に、別の誰かの「私も見ました」が並ぶ。直ったものには「ナオッタ!」が付く。自分ひとりの声ではなかったことが、目に見える形で残ります。

いちばん詳しいのは、そこに住んでいる人

あの交差点が見えにくいこと。あの公園の遊具が去年からぐらついていること。夕方のあの道が、子どもには暗すぎること。

こうしたことをいちばんよく知っているのは、行政の職員でも、専門家でもありません。毎日そこを歩き、そこで暮らしている住民です。そして、いちばん強く関心を持っているのも、その人たちです。

行政には、限られた人数と時間しかありません。まちのすべてを見て回ることはできない。けれど住民の目は、まちじゅうにあります。その目が見たものを、みんなに見える形に整えること。そして日本では、行政が受け取れる形に整えて渡すこと。それが、このサービスの役割です。

毎年、川で子どもが亡くなる

夏になると、川の事故で子どもが亡くなったという報道を目にします。毎年のことです。

そうした記事には、「地元の人によると、あの場所は以前から流れが急で危険だった」という一文が添えられていることがあります。危険を知っていた人は、事故の前からいたことになります。

ただ、その知識はたいてい、その土地の人たちの間にとどまります。その日はじめてその川に来た家族には届きません。届ける経路がないからです。

このサービスで事故がなくなるとは考えていません。ただ、知っている人の情報が、知らない人に届く経路をつくることはできます。

あなたの一枚が、誰かの安全になる

「これ危なくない?」——そう思った瞬間が、このサービスのすべての出発点です。

写真を一枚撮るだけで構いません。長い文章も、専門知識も要りません。あなたが立ち止まって撮ったその一枚を、運営が確かめ、地図に載せて地域のみなさんと共有します。日本では、必要なら自治体にも参考情報としてお伝えします(ヨルダンでは、行政機関への送達は行いません)。そして、もし直ったら、それをみんなで見届けます。

あの手紙を書き続けた人のように、特別なことをしなくても、誰かの安全に関われる。そういう場所を、まちの中につくりたいと思いました。

あなたの気づきを、待っています。

「これ危なくない?」運営者